思い出


クラシック1/8に関する懐かしい写真や資料などを掲載します。

掲載可能な資料をお持ちの方は、事務局までEメールまたは郵送でお願い致します。


われらYOSHIZAKI軍団!
スキンヘッドの吉崎さんの巻

第5回C.R.C.M.でベストクラシックアワードを受賞した、吉崎さんの、類まれなる工作センスに触れた記事が掲載されているRC雑誌スーパーマシーン。ラジ技で知られる電波実験社が発刊していました。残念ながら現在は廃刊。 誌面の記事内容は、RCマニアの蔵治義紀氏を取り上げたものだが、吉崎さん製作の1/20マシンが、それ以上に大きく取り上げられています。

吉崎さんが、蔵治氏のために製作したワンオフマシンの数々。どれも息を呑む素晴らしい仕上がりです。 1/20レースの模様。なんと発足から30余年今なお続いている、あの富田直美氏が率いるTeam Setaの、金曜ナイトレースの1コマなのです。

ドーンと大サービス!1ページそのまま載せちゃいました。見づらいかも知れませんが、記事をよーく読んで下さい。上段の写真は、吉崎さんが製作した1/20シャーシ。左のマシンは、デルタの1/12のように、3Pサスのトリプルダンパー仕様でなんと600mAhの6セルを振り分け搭載しています。右のマシンは、V字ダンパーの3Pサス仕様!恐るべき工作能力。下段左の集合写真、吉崎さんの左隣はイタリックの石井代表。それにしても吉崎さんの立ち姿は、ファッションといい、風貌といい、カッコ良過ぎです。

蔵治氏は、富田直美氏がオーナーを務めるバギーレース、フェニックスGCにも参加していました。フェニックスGCは、今もシリーズ戦が行われています。上段右写真の左は田沼祐一郎氏。上段左下のシャーシは、なんと1/20フルタイム4WDマシン。現在のEPツーリングにも通じるシャーシレイアウトです。凄すぎる!

クルマ好き!とにーさんの思い出
弁当箱マシン。京商ダッシュ1のリアシャーシにトドロキ製メインシャーシを装着。トドロキも始めはサードパーティーメーカーでした。タッパーウエアーのメカBOX上には、胸上のみのドライバー人形が。明治公園で走らせていたそうです。明治公園ってところが凄いですね。 ボディを装着したところ。マクラーレンかな?ウイングはバルサの自作!当時のタイヤはムクのゴム製で、確かホイルは鋳物?マグネシウム製?でしたっけ?かなりの重さです。フロントバンパー?はピアノ線をハンダ付けして作ります。

武蔵野サーキットにて整備中。ハイネスエンジンとかあったなー。白いズボンにサンダル?なんかお育ちのいい坊っちゃんって感じじゃないですか?>とにーさん。 京商の第1回全日本選手権。富士スピードウエイにて
「商品が豪華だった記憶が・・・優勝はポケバイだったかな?」
成績はどうだったんですか〜>とにーさん

武蔵野サーキット。この中にとにーさんいませんか〜?
(ラジコン技術73年4月臨時増刊より)

富士スピードウェイで行われた、京商の第1回全日本選手権。ドライバーズミーティング?をしているところ。風景がレトロしてます。
ところで一連の写真って何年ぐらいのものなんですか〜。
「クライマックスにベコー19、ぺりー40キャブ?を装着。とにかくスタータでエンジンかけるのが楽しかったなー。今よりかなり高音でうるさかった記憶が・・・?byとにー。ちなみに燃料タンクも自作だそうです。
リアタイヤの幅が凄いですね。やっぱりグリップって概念あったんですか?>とにーさん

30年前はこんな感じでスタート!決まってます!とにーさんもこんな感じで楽しんでいたのでしょうか?
(ラジコン技術73年4月臨時増刊より)

TSUNOさん思い出のJRCC初レース
完成間もないSPL。チームのメンバーと練習走行に行った時の写真。写っているの人は角田さんが当時所属していたチームの会長さんだそうです。向かって右が角田さんのRC200。残りの3台も同じくRC200です。 操作台方向からコースを望む。今では大きくなり過ぎて、冬は落ち葉に悩まされるバックストレート後ろの木が、当時は植えたばかりでまだ小さく、後ろの山が良く見えます。今とは全く別の風景です。

ラジマガ79年5月号より、当日のレース記事。初出場の角田選手が見ごたえのあるトップ争いを演じ・・・と。この日は惜しくも2位でした。1位の方も初出場で同じチームメイトだそうです。当時からバリバリだったんですね。写真の女性選手はシティホビーの枡田氏の奥様。一番下の小学生ドライバーは、現在もJRCCや1/8全日本で活躍する、サーパント遣いで知られる石島隆至選手。みんな若い!
「ワンツーフィニッシュで、とても気持良かった事を覚えています。」「長田氏は何とタイムも上のノービスクラス一位の人より上でしたし、私もノービスにエントリーしていれば三位の成績でした。」「石島くんもこの時出場していて、当時は私の方が早かったのですがね〜?石島君本当に小さかったですね。」「ちなみに、レース結果の私の名前が間違っていて、「念」ではなく「稔」です。」以上、角田氏談

レースでコーナーギリギリを攻める角田さんのRC200 表彰式。でっかいトロフィーを受け取る角田さん。
トロフィーを渡しているのはトドロキの社長さん???だそうです。

特集
栄光のTEAM POPEYE

画像が多いので別ページに作りました
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懐かしの日光国際RCサーキットについて
25年前、私YONEっちが通っていた1/8サーキット。昭和54年10月発行の雑誌スーパーラジコンから、表紙中央は私とmarsanさん、ootakeだよさんが出場した、京商グランプリ北関東大会のレースのワンシーンです。 雑誌中面の京商グランプリ北関東大会の記事。北関東にオープンした、初めての本格的サーキットとして大きく取り上げられました。大会の参加台数は、当時としては少な目の87台。今、そこまで集まったら全日本です。

上段左側の写真は桐生真さん。1/8創世記からのベテランドライバーだ。下段中央はベストラップ賞を獲得した鈴木敏郎さん。左のピット風景の中に私がいるはずなんだけど・・・。 上段左が25年前のmarsanさん。右はootakeだよさん。この時から現在までライバルだなんて信じられません!中央左は、この日の上位入賞者。初級クラス4位の私は、写真は撮られたはずなんだけど掲載されませんでした。載っていれば3人一緒だったのにな〜。

雑誌そのままの大きさのmarsanさんとootakeだよさん。ん〜さすがに25年前は若い!!ootakeだよさんは普通〜の好青年レーサーって感じだけど、marsanさんは、この頃からすでに塗装に凝ってるし、マシンはスペシャルだし、身なりはお洒落そうだし。今と変わりませんね。この時私は、ちゅんぼ(中学生)だったので頭は丸坊主でした(核爆)



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